「海でも行くか」
そう言い出したのは、めずらしく父のほうだった。
母は驚いて、それから少し笑って、
冷蔵庫にあるもので、おにぎりを握った。
ラジオと、ときどきの会話。
昔の話が多かった。わたしが小さかったころの、
わたしの知らないわたしの話。
助手席の母が、いちばん笑っていた。
着いたのは、昼をすこし過ぎたころ。
泳ぐわけでもなく、三人で防波堤に座って、
おにぎりを食べて、ずっと海を見ていた。
父はほとんど喋らなかった。
でも、それでよかったのだと、いまは思う。
帰りの車で、母は少し眠っていた。
バックミラーの中の夕焼けが、
ずっと、後ろからついてきた。
あれが最後の海になるなんて、
あの日は、誰も知らなかった。
お母さん。
あの日の海は、いまも
ちゃんと、ここにあります。
また、行こうね。
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